おおむね雅一の文学的ココロ

自称、もの書き屋です。

朝書くか、夜書くか

いつ書くかといえば圧倒的に夜が多い。ゆっくり時間が取れるのが夕食後だから。昼間あれこれ考えて、練ってある程度形になるのも夜だなぁ。子供とカミさんが静かになるころにパソコンに向かいキーをたたく。

 

最初ざわざわしていた頭が、だんだんと落ちついてくる。自分が文字の中に埋もれていく。大きな文字も小さな文字もひとつひとつ吟味し、丁寧に選び並べていく。前に行ったり元に戻ったりを繰り返し、一番いい形と流れを編んでいく。

 

文字がつながってくると気持ちいい。無心にキーボードをたたくだけになる。そんなときでも実際には頭を使っているのだがリキミがなくなる。全身の細胞が緊張から解放される。文字を切ったり、貼ったりして様々な工夫を凝らすのが楽しい。行き過ぎないよう自分を抑えないとならないことも。

 

文字がつながらないとウンウンと唸り、パソコンの一点を凝視して動けなくなる。ところてんを押し出すように頑張ってみるが、文字の羅列は自分の気持ちを焦らすだけだ。強引に文字を並べても、自分の思惑とは違う形になってしまう。にっちもさっちもいかなくなる。頭の中は徒労感でいっぱいになりパニック寸前だ。

 

よいときも悪いときも書いている時間はあっという間に流れていく。気がつくとときどき驚くことがある。こんなにも時間をかけてしまったのかと。書くことができる時間はシアワセだ。ありがたいということだ。

 

朝書くこともよいと思う。目覚めの頭には余計なものがない。澄み切った新鮮な頭で文字を操ることができたらどんなによいだろうか。やったことはない。起きれない。寝ぼけている。忙しい。子供とカミさんと戦わなければならない。言い訳は尽きない。

推敲しよう

とにかく応募しよう。そう決めた。一つは文芸作品として。もう一つは読者投稿として。半年前なら書くことしか知らなかった。どしたら日の目を見るのかなんて夢みたいな話。

 

少しずつ情報を集めてようやく応募しようと決心できるまでになった。そう決めた途端に、以前書いたものを見直したくなった。応募するからには雑にはしたくない。

 

読者投稿もおもしろそうだ。お題を見て自分の物語を創るのだ。自分の頭と身体を慣れさせて、執筆の腕を磨くのだ。

 

さあーて、面白くなってきた。

新しい環境に飛び出す

今週のお題「練習していること」

 

自分に言い聞かせる。思い切ってやるのだ。何度も繰り返す。とことん自分が納得できるまで。慣れ親しんだあそこなら自分が潜り込み楽して過ごせる場所もある。あと数ヶ月自分を騙していれば。

 

でも同じ朝は迎えたくない。暗く重い気分に押しつぶされるのはごめんだ。躊躇する気持ちを振り切る練習だ。あきらめず続けていればどうにかなるもんだ。明るい光が見えるようになってくる。

 

オレにはやりたいことがある。必ずやってみせる。慣れ親しんだ場所から飛び出す勇気を大切に育てる。そんな練習を繰り返している。

古い人間関係

今週のお題「卒業したいもの」

 

二十数年勤めてきた。今年は定年を迎える。再雇用、嘱託社員として続ける道もあるが、それは考えていない。

 

このまま続けるのが手っ取り早く楽なのは当たり前の話だ。しかし、人間関係に疲れた。社長とその弟、息子の急流の渦の中で泳ぐことはできない。

 

もっと早く気がついても良かったと思うこともある。もうそれは嘆かない。還暦が目の前だが新しい道を歩むことを決めた。

 

新しい未来を想うことは楽しい。困難はあるさ。それでも余りある恩恵、何より自分が明るく頼もしいものになれる気がする。

 

こんなときだけは歳は忘れても良いはずだ。上を向いて歩こう

新しいことを始めてみるか……承認欲求と創作の葛藤

今までFacebookに投稿をしてきた。もう十年以上になる。なんでそんなに続けることができたのか。ニュージーランドの友人からFBを一緒にやろうと誘われたことがきっかけだった。当時はSNSが急速に広がり、その流行に乗った感じで始めた。

 

最初の頃はその日見たこと感じたことを正直に書いた。慣れてくるとよく見せたいという顕示欲・承認欲求が自分を動かすようになった。自分がどれだけ楽しいことをしているか。人ができないことをやっているか。自分のやっていることを自慢したい気持ちが投稿するエネルギーになっていた。

 

たいていは写真に短い文章をつけている。あまりまじめにならずふざけた調子で書いてきた。本当のこと一辺倒よりも誇張、歪曲を織り交ぜて面白おかしく読めるように工夫をしたつもりだ。FB上に100%真実を書いても面白くない。虚構や創作があっても良いと考えるようになった。人を中傷・攻撃するようなことはしない。